2018年06月20日

ネブラスカ

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「ネブラスカ」というタイトルの映画作品に目が留まり視聴しました。何故「ネブラスカ」というタイトルへ目が留まったかというと、その昔子供の頃、家の近くにネブラスカ州出身の宣教師の方が住んでいたことを思い出したからです。

2013年のアメリカの映画ですが、カラーではなく白黒で表現しています。内容も最近の低音がどんどん鳴り響くアメリカ映画ではなく、日本映画的な繊細な心の動きの描写を感じるものでした。

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その昔、実家の近くの小高い丘の上に、数人の宣教師の住んでいる家(館)がありました。狭い日本の家の立ち並ぶ街の丘の上に松林があり、その広い敷地に芝生と松、厳めしい建物、そしてその周りには鉄条網が張り巡らされていました。その敷地の横に自分が通っていた幼稚園があり、子供心の中にもどんな人が住んでいるんだろうと興味津々でした。

自分が大学生になると、その宣教師の館でボランティアの英会話教室(教室といっても宣教師の人の部屋で数人の学生と1時間程度フリートーキングするというものです)があると聞き、週に1回、通ったことがあります。授業が終わるとお決まりの説教を聞くというものでした。

幼心の中にその館の住人はすごく高級な生活をしているだろうと思っていましたが、その中に入ると非常に質素な生活を送っているのを目にしたのです。年に1度のパーティ、パーティといっても手作りのアメリカンサイズのクッキーと豆のスープ、そして手作りの装飾がされた大きなテーブルで一緒に会食するというものでした。

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一番印象深いのは、その宣教師の年配の先生が会話の中でネブラスカ州の出身だと語った時の事でした。恐らくあの当時でゆうに60歳は越えていたでしょう。穏やかな顔立ちの奥さんと日本へ来た時の話、そして懐かしそうにネブラスカは大変な田舎であることを話していました。恐らく故郷へ帰りたいと思っていたのでしょう。しかし最後は宣教師の方らしく「それは神様のご意志です」と言っていたことを思い出します。

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さて映画の内容は、ある年取った痴呆になりかけの老人が百万ドルの賞金が当たったと勘違いをして、その賞金を受け取りへ出かけるという珍道中を描いたものです。その映し出される風景は、あの宣教師の方が話していたアメリカの田舎風景であり、どこか懐かしさを感じるものです。

もちろん映画作品であり、しかもわざわざ白黒で表現しており、そのような風景を特徴的に表していると思いますが、作品の所々で表現される現代的な要素、例えば街の看板は家のモーゲージローンの様なものであったり、町工場で働く労働者は外国語しか話さないという場面があります。そしてなにより、人の心の機微はどんなところでも変わらないと思わせる表現です。

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人はどうしても奇抜なもの(傾奇、かぶき)ばかりへ目が行き、アメリカの印象というとニューヨークやワシントンDCのリッチでラグジュアリーと思いがちです。又、アクション映画の騒がしくて生き馬の目を抜く人ばかりが闊歩している国と思いがちですが、基本的な所ではどこか通じ合うものを感じます。

心に残る風景とは、どこの田舎風景でも変わらないだと感じる映画作品でした。

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(近くの森で偶然見つけた「おおるり」。上手く写真で撮れませんでしたが、偶然の美しい青には感動です)
posted by 田舎おやじ at 10:39| Comment(0) | 日々雑感

2018年01月05日

皮膚感覚

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最近は体が全然アルコールを受け付けなくなり、ほぼ酒類を飲みません。正月にちょっとだけ日本酒を飲んだのですが、すぐ顔が真っ赤になります。そういえば、冷酒が好きだった亡くなった親父も晩年は、ちょこっとのお屠蘇を飲むだけで真っ赤になっていました。

昔、学生の頃ウイスキーや日本酒の二級酒というのがあり、悪酔いすると分かっていながら、周りの雰囲気で飲み続け後で頭がガンガンした覚えがあります。その昔カストリ酒という非合法の酒があったと聞きしましたが、その頃の酒に比べたら二級酒なんて高級品だったのでしょう。

さて、ほろ酔い気分で久しぶりに東京見物です。

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有楽町。
ここは三井日比谷ビルがあり、旧三井銀行本店があったところです。そのビルの横は三信ビル。そこにはプロムナードという洒落たフランス料理店がありました。まだ完成前ですが、外観はほぼ出来上がっています。


銀座の街を歩くと、日本語でない会話が主流です。たまに日本語が聞けるのは高齢な夫婦。何故か若い人の会話も外国語に聞こえます。メイン通りの多くの店も海外ブランドの店舗が目立ちます。デパート(死語です)も流通業から不動産賃貸業へ変わってしまったのでしょうか?

ちょっと酔いがあったのか、その一画だけが何か「鬼胎」のように見えました。昨年一年間に見歩きした場所とは違うのです。又、それは自分がかつて見てきた雰囲気とも違うのです。なにか異様という感覚です。

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その昔90年前半、バブル崩壊後の営業店で正月の挨拶に来た中小企業の社長さんの言葉を思い出します。「今回の不況は今までと感覚が違うんだよ。」・・・確か当時、まだ不況という言葉を使っており、不況後にはまた数年で景気が戻るという感覚があった時代です。今思えば、その社長さんは肌で今までと違う雰囲気を感じていたのでしょう。


今もバブル到来と言われていますが、以前のバブルとは雰囲気が違うのです。決してユーフォリアを感じません。無理やり景気がいいと喧伝しているだけに見えるのです。もちろんバブルという言葉の定義を「実態からかけ離れた状態」とするならバブルと言えるでしょう。しかし今回は悪い酒(非合法すれすれの酒?)で悪酔いしている始末の悪いオッサンのようです。いい酒(高い酒という意味ではありません)でほろ酔いしているいいオッサンではなさそうです。

これは正月早々、慣れない酒を飲んだからなのでしょうか?後の悪酔いで頭がガンガンしないことを願います。

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posted by 田舎おやじ at 09:21| Comment(0) | 日々雑感

2018年01月01日

新年明けましておめでとうございます。

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【横浜ベイサイドから新年】


明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

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昨年中はなるべく実際に行ってその場所の雰囲気などを感じようと出歩きました。

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実際に行ってみると色々と感じるものがあります。かなり昔に感じたことを思い出したり、全く関係ないことと関連付けたり、認知症防止には良さそうです。

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やはり人間ですから五感を生かしていきたいものです。

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posted by 田舎おやじ at 21:12| Comment(0) | 日々雑感

2017年12月23日

遊行寺(藤沢宿)

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東海道藤沢宿の近くに時宗総本山遊行寺があります。

ふと図書館で遊行寺に「板割の浅太郎の墓がある」という記述の本を見かけ、興味持って読んでみました。「板割の浅太郎(浅次郎)」とは上州の博徒、国定忠治に関わる逸話であり、「赤城の子守歌」で良く知られています。昔、東海林太郎が背筋を伸ばして歌っていた姿を思い出します。

世界大百科事典 第2版の「板割の浅太郎」の解説(国定忠治より)

https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E5%BF%A0%E6%AC%A1-55711

寺の入口に板割の浅太郎の墓があるという看板が立っています。

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ネットより抜粋
http://shonan-fujisawa.jp/newpage306.html

「1842年、赤城山で忠治と別れた後、仏門に入り長野県佐久、時宗金台寺の列外和尚の弟子となった。のち遊行寺の堂守となり、鐘つき、参詣者の接待、清掃をしながら念仏三昧、中島親子の菩提を弔った。その精進、改心が認められ、当時、この地にあった貞松院の住職となった。」

同じ寺の敷地には「小栗判官」の逸話もありました。

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(写真が見にくくなりましたが、境内右上の奥が小栗判官由来のもの。板割の浅太郎の墓はかぶらき門近くの左側にありました)

さて宗教は奥が深いですから、以下は素人の戯言です

一遍宗(時宗)とは鎌倉時代の一遍上人が切り開いた念仏宗の一つと言われています。しかし念仏宗が一般庶民に広まると、どんな時代でも政治を治める側からは疎んじられる傾向があります。平安末期は法然、親鸞の真宗、鎌倉時代は日蓮の日蓮宗、そして一遍上人の一遍宗(後に時宗とされます。)等々。一遍宗も江戸時代になってから、各地の庶民に広まった念仏宗(一向宗等)を政権側がコントロールできるように時宗としてこれらを総称されたといいます。

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近くの交流館の方に伺うと、時宗は幅広く民衆の話を受け止めるとのこと。確かに「小栗判官」の話は伝承された民話をなんとか具体化したようにも思えます。庶民に好まれる「判官びいき」「義理人情もの」では亡くなった人々が各地で生き残ったという話が残ります。

政権からコントロールされる庶民にとっては「救い」の話であり、長い時間を経っても受け継がれるということは底流に流れる庶民の心意気を力強く感じるものです。

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posted by 田舎おやじ at 12:00| Comment(0) | 日々雑感

2017年12月22日

伊東の建築物

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(伊東東海館)

最近、古くても現存する木造建築物の見学へ出かけます。
東海道沿線は、明治以降から別荘地等で利用されていたため、当時の贅を尽くした建築物、特に古い木造建築物が残っています。小田原、熱海、三島。何といっても日本の場合、太平洋戦争の空襲を免れた場所に限られます。

今回は伊東線の伊東にある「東海館」を紹介します。

熱海から伊東線へ乗り継ぎ、伊東まで乗車します。熱海駅を過ぎると線路は単線になります。来宮駅から先、幾度かトンネルを越えますが、次第に伊豆半島らしい風景が飛び込んできます。

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(3階部分にある大広間。彫り物、床柱がすごい)

伊東線の終点、伊東駅で下車し、古い木造建造物である「東海館」へ見学します。木造建築物ですが、塔を加えると5階建相当となります。古くても現存する建物には圧倒される迫力があります。

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(階段に利用されている板)

主だった部分は3階ですが、1階ごと別々の棟梁に競い合い建てさせたので、各階それぞれの贅を尽くした特色があります。素人の自分でもこれは贅沢だなという木材や建具が使われています。素人の説明より写真を掲載します。

(以下、各階に意匠が異なる建具)

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さて、観光ガイドさんに紹介されて、近くの東郷平八郎の別邸も見学してきました。
こちらは今まで見てきたような別荘に比べると非常に質素なイメージがあります。決して華美を感じさせない建物。そして庭も大きな名石があるわけでなく、又、植栽もいたってシンプルです。(勿論、植栽等は当時から代替わりをしていますが、当時のものに模して植えられています。)

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(東郷邸の質素な室内)

そこを管理している方へその感想を述べると、そうなんですとばかりに、当時のエピソード等を紹介してくれました。質素倹約な生活、家財道具の修繕、そして給金は「預りもの」として使わず、軍人が傷病者になると、その「預りもの」から支出したとのこと。

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縁側にあった腰掛に座り、質素な庭を眺めていると、当時の軍人としての矜持を感じます。
今の時代に求められるのは、そのような気持ちなんでしょう。派手なイベントや建造物、「より早く、より大きく」ではないような気がします。

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posted by 田舎おやじ at 00:00| Comment(0) | 日々雑感