2017年12月23日

遊行寺(藤沢宿)

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東海道藤沢宿の近くに時宗総本山遊行寺があります。

ふと図書館で遊行寺に「板割の浅太郎の墓がある」という記述の本を見かけ、興味持って読んでみました。「板割の浅太郎(浅次郎)」とは上州の博徒、国定忠治に関わる逸話であり、「赤城の子守歌」で良く知られています。昔、東海林太郎が背筋を伸ばして歌っていた姿を思い出します。

世界大百科事典 第2版の「板割の浅太郎」の解説(国定忠治より)

https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E5%BF%A0%E6%AC%A1-55711

寺の入口に板割の浅太郎の墓があるという看板が立っています。

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ネットより抜粋
http://shonan-fujisawa.jp/newpage306.html

「1842年、赤城山で忠治と別れた後、仏門に入り長野県佐久、時宗金台寺の列外和尚の弟子となった。のち遊行寺の堂守となり、鐘つき、参詣者の接待、清掃をしながら念仏三昧、中島親子の菩提を弔った。その精進、改心が認められ、当時、この地にあった貞松院の住職となった。」

同じ寺の敷地には「小栗判官」の逸話もありました。

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(写真が見にくくなりましたが、境内右上の奥が小栗判官由来のもの。板割の浅太郎の墓はかぶらき門近くの左側にありました)

さて宗教は奥が深いですから、以下は素人の戯言です

一遍宗(時宗)とは鎌倉時代の一遍上人が切り開いた念仏宗の一つと言われています。しかし念仏宗が一般庶民に広まると、どんな時代でも政治を治める側からは疎んじられる傾向があります。平安末期は法然、親鸞の真宗、鎌倉時代は日蓮の日蓮宗、そして一遍上人の一遍宗(後に時宗とされます。)等々。一遍宗も江戸時代になってから、各地の庶民に広まった念仏宗(一向宗等)を政権側がコントロールできるように時宗としてこれらを総称されたといいます。

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近くの交流館の方に伺うと、時宗は幅広く民衆の話を受け止めるとのこと。確かに「小栗判官」の話は伝承された民話をなんとか具体化したようにも思えます。庶民に好まれる「判官びいき」「義理人情もの」では亡くなった人々が各地で生き残ったという話が残ります。

政権からコントロールされる庶民にとっては「救い」の話であり、長い時間を経っても受け継がれるということは底流に流れる庶民の心意気を力強く感じるものです。

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2017年12月22日

伊東の建築物

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(伊東東海館)

最近、古くても現存する木造建築物の見学へ出かけます。
東海道沿線は、明治以降から別荘地等で利用されていたため、当時の贅を尽くした建築物、特に古い木造建築物が残っています。小田原、熱海、三島。何といっても日本の場合、太平洋戦争の空襲を免れた場所に限られます。

今回は伊東線の伊東にある「東海館」を紹介します。

熱海から伊東線へ乗り継ぎ、伊東まで乗車します。熱海駅を過ぎると線路は単線になります。来宮駅から先、幾度かトンネルを越えますが、次第に伊豆半島らしい風景が飛び込んできます。

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(3階部分にある大広間。彫り物、床柱がすごい)

伊東線の終点、伊東駅で下車し、古い木造建造物である「東海館」へ見学します。木造建築物ですが、塔を加えると5階建相当となります。古くても現存する建物には圧倒される迫力があります。

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(階段に利用されている板)

主だった部分は3階ですが、1階ごと別々の棟梁に競い合い建てさせたので、各階それぞれの贅を尽くした特色があります。素人の自分でもこれは贅沢だなという木材や建具が使われています。素人の説明より写真を掲載します。

(以下、各階に意匠が異なる建具)

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さて、観光ガイドさんに紹介されて、近くの東郷平八郎の別邸も見学してきました。
こちらは今まで見てきたような別荘に比べると非常に質素なイメージがあります。決して華美を感じさせない建物。そして庭も大きな名石があるわけでなく、又、植栽もいたってシンプルです。(勿論、植栽等は当時から代替わりをしていますが、当時のものに模して植えられています。)

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(東郷邸の質素な室内)

そこを管理している方へその感想を述べると、そうなんですとばかりに、当時のエピソード等を紹介してくれました。質素倹約な生活、家財道具の修繕、そして給金は「預りもの」として使わず、軍人が傷病者になると、その「預りもの」から支出したとのこと。

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縁側にあった腰掛に座り、質素な庭を眺めていると、当時の軍人としての矜持を感じます。
今の時代に求められるのは、そのような気持ちなんでしょう。派手なイベントや建造物、「より早く、より大きく」ではないような気がします。

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2017年12月16日

「やすらぎのさとやま」

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(どこかの田舎と思いきや、鎌倉長谷の旧山本条太郎邸。谷戸を上手く利用した市中の山居です)

街へ出ると老人達を色々な場所で見かけます。商業施設や交通機関、若者よりも老人の方が多いのではないかと思います。レストランでは若者にも負けないような食事をし、金融機関のATMにも老人達の人だかりが。そして町の通りではパトカーをよく見かけした。

成程、今日は15日。今日見た風景がふと1本の線で繋がります。
昔は25日がサラリーマンの給料日で「物日」だったのですが、今は偶数月の15日、年金の支給日が「物日」なのです。老人パワー、恐るべしです。

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ちょっと前に放映されていた倉本聰作品の「やすらぎの郷」。
高齢者の入口にいる自分自身にも楽しい番組でした。老人たちが繰り広げる人間模様、決して他人事に思えないものがありました。
そして、主人公が発する現在のテレビ批判。というよりテレビ局批判でしょうか?鋭い切り口を感じました。確かに最近のテレビ番組やニュースには首をかしげるものが多くあるように思えます。

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(縁側からは由比ヶ浜の海が臨めます)

倉本作品はこのブログでも何回か取り上げていますが、もう二十数年前の作品の「ニングル」という話がありました。「ニングル」とは北海道に古くから住む小人で何百年も森の中で生き、人間の生活を見ながら警告を発するという話です。その中で「知らん権利。ほっとく義務」という話があります。

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(屋根はすこし湾曲をして、優雅な雰囲気がします)

「知る権利」、「知る権利」と他人の家へ土足で上がり込むような話を多くのカメラとマイクを向けている映像がマスメディアに流れています。しかし「ほっとく義務」もある、というものです。確かに当時も今もマスメディアの一部には「知る権利がある」という「建前」の社会正義を振りかざし、実は「報道局の視聴率を上げ、儲ける権利がある」というのが本音でしょうか?
報道する価値のないような些細なニュースが意識的に多く流される一方、多くの国民の生活に影響するようなニュースがかき消されるケースが多々あります。

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今はネット社会。ある組織の維持のためパブリシティを利用しても、人々が日常生活のちょっとした疑問から情報を探せば、成程と1本の線で繋がり、筋の通った理屈が見つかります。

さて、自分は「やすらぎのさとやま」の「ニングル」となって、「シニカル」というより「楽しみながら」生息しますか?

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2017年12月15日

加藤周一「日本のこころとかたち」

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(港南台の雲場池!)

加藤周一氏(大正8年〜平成20年)の「日本のこころとかたち」。
日本文化について他国と比較したり、歴史を振り返りながら解説しています。説明は日本文化の特徴に留まらず、なぜそういう文化的なものができたかも話が及びます。ただ単に「日本すごい」という日本文化礼賛ではなく、又「日本だめ」という日本文化批判でもなく、日本人の長所、短所を的確に説明をしています。(自身の最期はキリスト教の洗礼を受けて亡くなっています。)

その一つの集団主義。
「日本人は村共同体の上はない。共同体の利益が目的となっている」と説明します。欧米では神は絶対神ですが、日本は八百万の神です。仏教が伝来しても、日本風にアレンジし、神仏習合とします。絶対真理の追求というより、現世利益(共同体の利益)を重視するため、日本の神は共同体(村)の神になりえますが、世界の神にはなりえないと言います。
それらを西洋の彫刻や絵画、日本の仏像や浮世絵等を通して解説します。

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(港南台のもみじ)

そのような風土では、共同体の多数意見は正しく、少数派は誤りとします。議論を避け、共同体の和を重んじます。一方、欧米では多数意見が正しいとは限らないが、どちらかを決める場合は多数決という方法を採るだけで、もしかしたら少数意見が正しいかもしれないという立場を採ります。絶対なのは神だけであるという立場です。

その為日本では少数意見が成り立たず、方向転換がしづらい。共同体において一度意思決定された場合、破局的最後になるまで方向転換ができないと言います。

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(光と影)

今でも忘れられない忌まわしい昔の事故。
丹沢の川原で会社の仲間とキャンプをしていた数家族。雨が降り出し、川が増水し始めますが、誰一人として川の中州から逃げようせず、子供を含む多くの人が水に流されて亡くなったというもの。自分の家族だけがキャンプを止めて帰ると言えなかった集団の雰囲気。

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5.15事件で暗殺された犬養毅首相。
世間的には「話せばわかる」と言って、青年将校に撃たれたとされていますが、犬養氏の孫の著書によれば、「話をきこう」だったといいます。「話せばわかる」という言葉には、「相手を説得する」という意味がありますが、「話をきこう」には「あなたの意見の方が正しいかもしれない」という意味も感じます。当時の報道の位置関係を考えると、何故そのように報じられたかわかるような気がします。

日本文化、風習、そして風景等、今まで当たり前と思っていた深層に流れるものを感じることで新たな一面が浮かんできます。

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2017年12月10日

伝統工芸とAI社会

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(修善寺のもみじ林)

伝統工芸が作られるビデオを見ました。ここでいう伝統工芸とは民芸品であり、実際の生活の中で利用されるものをいいます。いわゆる芸術品、美術品といわれる美術館などで展示されることが目的ではないものです。

実際に使われることが目的ですから、そのものが使いやすく、ある程度量産されるものを指します。量産されますから、決して有名な達人が作るものではなく、多くの職人が分業しながら造られます。

協同作業ですから、各職人は他の職人からの信頼を失わないように「手を入れ」「手間をかけ」自分の納得するものを作っていきます。

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(山の方は紅葉のピークは過ぎ、落ち葉がきれいです)

例えば「京友禅」。
我々一般の人には「きもの」を着ている女性の姿しか印象しかありませんが、そこへ至るまでの工程は、多くの職人たちの作業を経ています。各職人はいい仕事をしようと道具にこだわり、色々な種類の道具、更には自分なりの道具を作成しています。

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しかしながら、将来このような伝統工芸はAIやらロボットに置き換わってしまうのでしょうか?技術的な細かいことは分かりませんが、消費者がその商品の細かい差異がわからないなら、いや今後の技術の発展によりそんな差異も埋めてしまうのかもしれません。将棋においてAIがプロ棋士を打ち破った記事を見て、そんな風に想像してしまいます。

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美しい、楽しいという主観的な感情は、その作品の外見的なものだけでなく、その作品の背景に秘められた思いを感じることにより生まれるものです。そこの部分だけはAI、ロボットによる作品には感じられず、感動(こんなものもできるようになったのかという当初の驚きを別として)という満足感はないと思います。

(閑話休題)

ふと、思い出した昔のマンガ。
手塚治虫の「火の鳥」。未来の世の中で「人間に姿を変えた無定形生物・ムーピーのタマミ」
それは主人公の心の中の喜びや悲しみを読み取ることが出来、刹那的な夢をみせることができるというものだったと思います。

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今、苦し紛れにAIにできないことは何かと書いていましたが、「ムービー」が生まれたら人にできることとは・・・?と考え込んでしまいました。

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posted by 田舎おやじ at 00:00| Comment(0) | 日々雑感