2017年11月24日

遊び心

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今、横浜の三渓園では紅葉が見頃です。それに合わせ、重要文化財の春草蘆と聴秋閣の特別公開がありました。

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【聴秋閣裏の散歩道】

「茶の湯」のにわか知識を携えて、一人春草蘆へ足を運びます。
春草蘆は入口から2手に分かれた飛び石が並びます。(下記のHPを参照)

(三渓園HP)
http://www.sankeien.or.jp/kokenchiku/shunsouro.html

左は茶室の躙り口があります。一方、右は広い茶室の縁側的な方へ向かいます。にわか知識で左に向い、躙り口から茶室の内部を覗きます。暗い室内は多くの障子の窓があり、落ち着く雰囲気があります。

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【春草蘆の内部】

家の建築業者のCMで、「天井の高い家っていいよな。・・・本当は狭くて低い所が好きなくせに・・・」というのがありましたが、まさしく、究極な狭さの室内です。しかし、その限られた空間で交わされる会話は集中力が増し、濃厚な時間が流れていそうです。

そして、右の方の飛び石へ進み、広い茶室内を覗きました。

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【春草蘆の内部】

さて、そこを見終わり、飛び石を渡って元に戻ると、何人かの見物客を連れ立った年配のガイド様が筆者の行為を見ながら大きな声で「こちらの飛び石を歩くことは間違いです」と自分の見物客へ威厳高々と説明します。こちらは大いに恥を感じながら、振り返ります。しかし、飛び石の途中には手水もあり、飛び石の先には沓脱石もあります。

そのガイド様は「こちらの飛び石は上部が平らではない。雪駄とかは歩きづらい。だから入ってはいけない」とこちらを見ずに自分の客へ大きな声!でルールを説明します。

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確かに左へ行く飛び石は、上部が平らです。
しかしです。しかしながらです。にわか知識を頭の片隅から引っ張り出して、それなら止め石があるはずじゃないか!心の中で叫びます。

折角、日本文化のごく一部を齧り始めて勉強しようと思っている矢先の事件。やる気がなくなる。だからこまごまとしたルールがある茶の湯は難しい。しかしこの年ですから恥はすぐ忘れてしまいます。

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【暗い部屋では襖の模様が光ります 聴秋閣内部】

さて、「では何故、あの飛び石があるのか?」と考えます。
以下へ意固地な初老老人の戯言です

この三渓園の創設者の原三渓は、元々岐阜県柳津(佐波村)の出身。明治以降横浜で事業に成功した原家へ婿(入籍)として入ります。三渓(富太郎)は事業の才覚を発揮し、生糸で更に財産を築きます。事業だけに留まらず、維新後、洋化を目指した明治時代の中で、伝統的な日本文化の若手の担い手への援助、自らの館の庭を一般公開するなど、横浜において文化的に貢献した人です。三渓記念館では自身の描いた絵や、墨蹟もあり、故郷(岐阜)への想い、それは景色や親への想いが伝わります。

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【どこか懐かしい風景です】

これはかってな解釈ですが、三渓自身は日本文化というものを堅苦しく考えず、限られた人だけでなく、どんな人でも自分なりに、考え、想い、表わすことが大切と思っていたように思います。ルールなど拘らず、自分なりに表現すること。


さて、そこで先ほどの右への飛び石についてです。
茶の湯で客人を茶室へ案内する時に使う「止め石」は使わずに、どう表現するか?それを「遊び心」で無駄な飛び石や手水を置き、雪駄では歩きづらい右へは向かわせない。「遊び心」で謎かけのように配置したのでしょうか?縄文時代の火焔土器のように、全く器としての機能には不必要な装飾を作り出すという「遊び心」の文化です。

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【茶会の準備が行われていた臨春閣】

真偽はともかく、その様にそれぞれが想像する「遊び心」という文化を作庭者は期待していたのではないでしょうか?自分で自分なりに考えること、AIの判断だけにゆだねる世の中は決して面白くありません。、自分で考え判断しなくなった人類は犬!以下なってしまうのでしょうか?(いや、犬だって考えて行動しています)



posted by 田舎おやじ at 22:24| Comment(0) | 日々雑感

2017年11月01日

日本そば

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【秋の三渓園 秋らしい青い空でした】

秋の風景として秋晴れの青い空の下で一面に咲く白い花。そばの花です。

「そば」は農地として余り豊かではないところでも多くの実をつける作物の一つです。ちょっと前の時期、信州方面へ行くと冒頭のような風景を臨むことができます。そして薫り高い新蕎麦の季節となります。

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【車窓から撮ったのであまりよく映っていませんが、そばの花です】

「蕎麦」には「もり」と「ざる」があります。何が違うのでしょうか?印象では「ざる」には海苔がトッピングとして載っていて若干「もり」よりも値段が高めでした。通の人にとっては「めんつゆ」が、「もり」と「ざる」では異なるそうです。しかし筆者の行く大衆的な蕎麦屋では「めんつゆ」に違いはなく、海苔が載っているかいないかだけで、値段の安い「もり」をいつも頼んでしまいます。

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【烏瓜の赤と青い空】

以前テレビで、山地の斜面の多い土地に年取ったおばあさんが「そば」を育てている番組を見ました。木の伐採が終わると下草などを焼きはらい、そこへそばの種を蒔きます。そばは、そんな下草などを焼いた灰だけでもそこそこ実をつけます。そしてその次は豆類を蒔き、そして一般的な野菜類を育てていきます。しかしある程度経つと、また土地がやせてきますから、別の山の斜面に移り、同じようなサイクルを続けます。長年山で生きてきた人たちの知恵です。

おばあさんは「世渡り」という言葉を使っていました。「世渡り」というと都会人にとっては「世渡り上手」などあまりいいイメージはありませんが、そのおばあさんは、山で生きる人の一生を大自然という大きなステージの中で生き繋いでいくような意味で言っていたような気がします。長年、一所懸命に生き繋いできた人々の言葉には重みがあります。

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【里芋の花。畑を始めてから初めて見ました。なかなかきれいですが、長年同じ株の種芋を続けると咲くのでしょうか?芋の種(しゅ)にとっては花をつけて新しく次へ繋げるための知恵なのでしょうか?】

さて、問題です。「もり」と「かけ」ではどういう違いがあるでしょうか?そうか・・・双方もそばであることには変わりはありませんが、もりは冷たく、かけは温かいだけの違い(?)ですか?前に比べるとあまりいい問題ではありませんでした。(笑)

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【らっきょうの花です。今の時期、韮も花を咲かせ種ができます。小型の蕎麦の実のようです。種を取ってサイクルできれば最高ですが・・・】
posted by 田舎おやじ at 22:02| Comment(0) | 日々雑感